休日と読書

金曜日、イスラム圏では休日である。
昼から篠突く雨が降り続いている。
数十万ボルトのイカズチが時折雨空を切り裂くと、
煤けたカブールの街と近傍の丘々が
スポットライトでも浴びているかのように
光り輝いて見える。
そんな非日常的な眺望を窓からのんびりと眺めながら
昼食後のエスプレッソコーヒーを啜っていた。
ふと、この雨で、庭に咲いた薄紅色の杏の花が
一気に散ってしまうかもしれないと気懸かりになり、
若干小雨になった合間にそそくさと庭先に出て、
杏の木にシャッターを切った。


今週は仕事が忙しかったのと、
久々に頭を使う仕事が多かったせいか、
休みにも拘らず頭の中がまだ仕事モードにあるようで、
平日のように6時半に目が覚めてしまう。
まだ頭はぼーっとしているのだが
すぐには二度寝できない性質なので、
仕方なくベッドから起き出して
軽く朝食を取ったあとメールをチェックしたり本を読んだりしていた。
開発系の仕事に携わり始めたので、何かのヒントになればと思い、
『開発援助の社会学』という本を読了した。

開発援助の社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

開発援助の社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)


硬いタイトルではあるけれど、それほど肩肘張っているわけでもなく、
初学者にわかりやすい体裁で書かれている。
特筆すべきは、各国での実際の開発援助プロジェクトを調査し、
そのプロジェクトの目的・意図とは裏腹に引き起こす
思いがけない影響を掘り起こしていることだ。
いわゆる善意というものが必ずしもその社会のためにはならない
というパラドックスをさまざまな角度から指摘している。
ただ、感想を正直に言えば、痒いところに手は届いているけれど、
事例数が多いため一つ一つの記述が浅くなる傾向にあり、
その先のもっと突っ込んだところを知りたいのだけれど、、、
という食い足りない印象を受けることが多かった。
またパラドックスという側面を多数紹介しているせいか
開発援助に内在する西欧的近代化という方向性に
ネガティブな姿勢が強く出すぎているようにも感じた。
これは私の問題意識や志向との差異があるため、
仕方ない部分ではある。
開発実務の初心者である私にとっては、
どうしたら開発の効果を最大化、最良なものとすることができるか
という成功事例こそが知りたいことだったからとも言える。


またこの著書が対象としている読者層を推測すると、
望み過ぎかもしれないけれど、
いわゆる社会学の理論を応用してケースを深く分析するということが
ほとんど記述されていない。
その点が食い足りない印象を受けたもうひとつの理由だった気がする。
とはいえ、私も開発学に関して深く学んできたわけではないので、
開発援助という行いには
思いがけない「暴力性」があるのだというメッセージは、
実務者にとって常に心に留めておかねばならない
非常に大切なものだと思う。