センチメンタル・ジャーニー

ここ最近、アフガニスタンからの離任者・離任予定者が身の回りで増えている。
正確を期すと、援助業界というのは常に人の出入りが激しいから、
マクロな視点で見ればここ最近顕著になった傾向というわけではないと思う。
たまたま私が懇意にさせてもらっていた近しい関係者が
次々と別の国での仕事を見つけたり、日本に帰国することになったりという
どちらかというと偶然の重なりだと思っている。


多くの援助関係者にとって(と私は思っているが)、
少なくとも私にとってはアフガニスタンで生活し働くということは
一種ハレの状態がアップダウンを繰り返しながらも続く経験のような気がする。
常に仮の住いにいる非日常感の連続とでも言えばいいのだろうか。
ハレを常に意識し過ぎてしまうと精神的にあまりに負担が重いから
多分無意識的にそれを意識しないようにするために
淡々と仕事をこなし、淡々と日常生活を送っているけれど、
近しい人が去っていくとき、
改めて自分は結局のところ旅の途上にあって
いつかはケの状態に戻るんだという事実に気づかされる。
仕事と感傷主義は無縁との考えもあるだろうけれど、
アフガニスタンに長く滞在すればするほど、想いが強ければ強いほど、
去っていく人々の胸には形容しがたいセンチメントが去来しているのではと
勝手に私は思っている。


最近去った人々の謂の受け売りではあるが、はたとひざを打ったのが
ここアフガニスタンは特別だという想いである。
この国にはなんとも言い知れぬ強烈な磁場が存在する気がしている。
ある人たちにとっては一日たりとも居続けたくないと反発する力として作用するだろうし、
またある人々にとっては全感覚を麻痺させるほどの強烈な吸引力として働く。
それは快楽による誘引とは全く対極に位置する。
この種の人々はアフガニスタンの翻弄されまくった現代史が醸し出す瘴気にやられて
何とかそれに立ち向かいたいという一種の気概・冒険心を煽られる。
そして去っていくとき、
いくらかの成果を残せたと自負できる人でさえも
しかし結局はアフガニスタンの瘴気に打ち勝つことができなかったという敗北感を
全く味わわずに済むなんてありえないだろう。

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最近知人のアフガン人から
彼女の幼少期にアフガニスタンで撮影した家族写真を見せてもらった。
彼女はおそらく30代後半から40代前半、現在はNew Yorkで国連に勤務し、
アフガン人の女性としてはかなり開明的な女性と言えるだろう。
そのアフガン人の家族の写った60年代もしくは70年代のモノクロームの写真に
私は軽い眩暈を覚えた。
そこには西洋の恵まれた上流階級と思しき家族の集合写真と見紛うような
開放感・近代化を一身に享受しているような幸福な家族の姿が写っていた。
以前70年代のカブール市街の写真を見たときにも
その整然とした街並みと現在の銃痕が至るところに残る痛々しい街並みとのあまりの落差に
言葉を失ったことがあったが、
彼女の家族写真のインパクトは私にとってはるかにそれを凌いでいた。
彼女は言った、この国は一気に100年前に戻ってしまったのだ、と。
この国が失ってしまったものの深さと闇をまじまじと見せ付けられた気がした。