あるアフガン人の戦争体験

私の通訳Aさんとプライベートで話した。年の頃40代半ば、奥さんと三人の子供を持つ。非常に安定感のある人物で、デューク東郷(ゴルゴ13)のような鋭い目を持つ。また、さながら演歌歌手のような風貌で、彼が「与作」を唄ったらしっくりはまるだろうな。本当は焼酎でも呑みながら夜通しじっくり語り合いたいところだけれど、彼は酒をやらないからな。

彼は元空軍パイロット。多分に洩れず戦争の辛酸を舐めてきた。90年代前半、カブールが内戦に陥ったとき、彼の居住地域も戦闘地域になった。水も電気も止まり、食糧も尽き、彼は家族と共に夜明け前の最も安全な時間を狙って、隣人と共に家を脱出し、親戚の家を転々とする。ひと月後に様子を伺いに家に戻ってきたところ、家財一切が既に略奪されていることを知り、更にその場にいた民兵から脅され、仕方なく別の住居を探すことにする。ところが、内戦は更に悪化し、カブールでは大規模なミサイル攻撃が頻発するようになってくる。そして彼の住居のすぐ脇にもミサイルが着弾し、隣家は大破、その家の奥さんは首を吹っ飛ばされて亡くなったという。彼の家も大損害を蒙り、家族全員が大怪我を負った。

アフガン人は一人一人が戦争の苦い体験を持っている。仕事に慣れを感じてきたときにこんな話を聞くと、背筋がしゃんとする思いをする。

一方で北叟笑むような話も。ドライバーのBさんは50代前半くらい。今日嬉しそうな表情や目にうれし涙を浮かべたりしていたんで、理由を聞いたら、今日息子さんが生まれたらしい。しかもなんと、13人目の子供!彼もすごいが奥さんはもっとすごいな。