結婚・酒・奇人伝・手相

また通訳Aさんの話から。彼はパシュトゥー人で奥さんがタジク人というmixed marriageなのだが、彼曰く内戦前mixed marriageは稀ではなかったとのこと。異なるエスニックグループが地域住民同士、仲良く生活することも当たり前だったらしい。とはいえ、mixed marriageは都市部に住む、ある程度高い教育を受けた人の話として受け止める必要はあるかもしれない。しかしmixed marriageの話は他の場面でもときどき聞く。私が1年半前にアフガニスタンに来た当初は、エスニックグループ間の対立や敵意について多く聞かされてきたので、こういう話はすごく新鮮で、ちょっとうれしくなる。でも内戦後はmixed marriageの事例が少なくなったとAさんは言っていた。最近はどうなんだろう。ボスニア人の知人が以前、ボスニア紛争後、mixed marriageがほぼ皆無になったばかりか、mixed marriageの夫婦の離婚が多発した、というなんとも居た堪れない話を聞いたことがある。アフガニスタンではそこまでエスニックグループ間の分断が激しくなかったのかもしれない。

あまり知られていないが、アフガニスタンには1970年代まで?ブランデーとワインの製造工場がカブールにあった。ブランデーは700アフガニー、ワインは180アフガニー(当時の貨幣価値がどんなものなのかわからんけれど、いまならそれぞれ14米ドルと3.6米ドル)だったそうだ。アフガニスタンの葡萄は私の好物の一つで、白ワインなんかを作ったらなかなかうまいだろうな、なんて思っていたので、工場がいずれ再建するといいのだが。

本当かどうかはわからないけれど、ジャララバードに住むとある男性は、25年間他のものを口にせず、mechanic oil(車の廃油)だけを飲んで生き延びたらしい。残念ながら15年ほど前に亡くなったらしいが、私のチームのドライバーDさんが会ったことがあるといっていた。ほかにもガラスやカミソリの刃を食べていた男の話を聞いた。アフガニスタン恐るべし。

ドライバーのFさんが手相を見れるというので、私も見てもらった。私のは過去に人生の大きな方向転換を行った相がでているらしく、それはright decisionだったとのこと。多分一般企業を辞めて、こういう業界に来たことを言っているのかもな。学生時代にミャンマーを旅行中、占い師に聞いたときも、26歳で人生の転機を迎え、その後はinternationalな仕事に就くだろうって言われて、実はその予言は当たっている。でもその占いにはちゃんと落ちもあって、75歳で大病を患い、ひょっとすると死を迎えるかもと言われた。まぁ75まで生きられればいいか。