土曜の昼下がり

ラマダン(断食月)が今日から始まった。
日の出から日の入りまで、飲まず食わず吸わず妄想せず。
最初の一週間がきついらしい。
その後は少しずつ体がアジャストする。それでもきついだろうなぁ。
ある人は空腹になると怒りっぽくなる。
この期間、暴力沙汰や交通事故が増えるという人もいる(本当かどうかは未確認)。
でもムスリムたちは一様にすばらしい経験だという。


「食うに困っている貧しい人の気持ちを察することができるようになる。」
アッラーによって生かされていることを知り、虚心に戻ることが出来る。」
「体が慣れてくると、不思議な力が沸き起こってくるのを感じるようになる。」


これらの効用の意義深さは分からんでもない。でもやっぱり真似できないな。

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今日は休日なんだけれど、職場に少しだけ顔を出して、
昼時に帰宅した。


その帰り道、車のカセットデッキ(日本では絶滅危惧種だな)から、
サイモン&ガーファンクルが流れてきた。
別のスタッフがカセットを置いていったらしい。
サウンド・オブ・サイレンス」、「スカボロー・フェア」、、、
なぜだか自分が「時代の波に飲み込まれて何も出来ない孤独な一人の人間」
に思えてくる。
多分、悲哀な曲調にベトナム戦争のイメージを想起して
自分をそこに照らし合わせたからかもしれない。


関わっているプロジェクトもあまりうまくいっていないし、
私のしていることに対してアフガン人、
とりわけ武器を取り上げられるアフガン人から
有難がられているようには見えないし、
自分のしていることが長期的には
アフガン社会にとって大切に違いないと頭では思えても、
そういう「消耗戦」の日々の積み重ねは
心や身体に少しずつ堪えてくる。


「明日に架ける橋」がかかる。
聞きながら、中学高校時代、土曜の昼下がりを
一人横浜根岸の丘を下って下校していたことを思い出した。
人気のない木漏れ日の坂道を一人てくてくと歩く。
一週間で最も胸躍る土曜の午後、
それを迎えるあの何ともいえない多幸感と、
でもちょっぴり切ない感じ、
あの昼下がりがとても好きだった。


「明日に架ける橋」を聞きながら、
過去は文字通り「過ぎ去って永遠に戻ってこない」
ということ、
その時間という壁の絶対的非可逆性に
胸が締め付けられるような感じがした。
後悔していることがある、ということではなくて、
ただただ、その厳然たる事実がすごくリアルに感じられた
そのことに驚いていたのかもしれない。
あの昼下がりに、34歳になった自分がカブールで
そんなことを思うようになるなんて
全く想像もしていなかっただろうな。