風邪・タリバン・子持ちカレイ

先週の火曜日夜から風邪を拗らせてしまった。
それ以前から若干疲れ気味だったところを
ウィルスに付け込まれたようだ。
最初はのどに違和感を覚えて
それが次の日水曜にあっという間に炎症に変わっていて、
おまけにぼーっとしてその日は仕事にならなかった。
というわけで早めに帰宅して布団をかぶって
丸12時間汗をかきつつ昏々と寝たおかげで
次の日木曜にはよくなったように思えた。
しかし自分の感覚はすでに麻痺していたようで、
それから今に至るまで、ちっともよくならない。
鼻水、くしゃみ、せき、軽い倦怠感が
毎日続いている。
ここまでしぶとい風邪は久しぶりだ。


アフガニスタンで最近大きな話題になったのは、
タリバンの戦闘部隊の実質トップであった、
Dadullahの死亡ニュースである。
ニュース内容の詳細は、せやさんのブログに譲るとして、
彼に関して同僚から聞いた話を紹介したい。
Dadullahはbrutalなコマンダーとして名を馳せたのだが、
そのbrutalぶりを示す一例がbeheadingだった。
彼の手(もしくは命令)によってbeheadされた犠牲者は
何十人とも言われ、
その模様をビデオに撮影してCD-ROMに焼き付けて、
頒布もしていた。
私の同僚はそれを見たことがあるらしく、
その映像が3日間頭から離れず、非常に悩まされたと言う。
私も同じような映像(イラクでの処刑シーン)を
たまたま見てしまったことがあって、
その時に深刻な心理的ダメージを受けたので、
彼のショック度合いがよくわかる。
でもその同僚の批判の仕方が面白かった。
タリバンは映像とか写真とか音楽を禁止してたくせに、
あんなもの(CD-ROM)を作りやがって、
あのころとやってることがちがうじゃねえか」


ちょっと説明がいるかもしれない。
タリバンアフガニスタンの大半を統治していた90年代後半、
実は彼(同僚)、三度もタリバンにしょっ引かれて、
豚箱入りしている(いずれも軽罪だったため数日程度で済んだ)。
そのうちの一度はたまたま友人宅に遊びに行った帰りに、
その友人からこっそり借りたカセットテープを体に隠し持っていたときに、
タリバンの検問に引っかかって
まんまとカセットテープ所持を見つけられてしまった。
彼はそのことをとても愉快気に告白してくれたのだが、
でもそのときのルサンチマンが彼の中にあるせいか
さっきのような批判になったのだろう。


批判の矛先がちょっとずれているのが
私には何ともおかしかったけれど、
一言タリバンといっても
私たちが普段見聞きする
国際メディアがこぞって取り上げるような
おどろおどろしいイメージだけでなく、
その存在をめぐってアフガン人の間には
当たり前ではあるかもしれないが、
濃淡さまざまなエピソードがある。
彼は先のような批判をいいつつも、
別のときにはタリバンの功績にも触れていた。
90年代半ばにタリバンがカブールを鎮圧する前までは、
ムジャヒディン各派がカブール内に入り乱れて治安は極度に悪化し、
隣町にいくことすら儘ならない状況だった。
彼は当時学生で、自分の家と学校の間の
ほんの数分の距離だけが許された外出範囲だった。
しかしタリバンのカブール侵攻以降、
カブールにはつかの間の平穏が訪れたという。


日本でのほほーんと学生生活を送った私には
想像を超えたティーンエイジ時代というべきだろう。
しかしもっと驚くことは、
そんな翻弄された青春時代を語る彼のその語り口が
とても素っ頓狂なくらい飄々としているんですね。
弱冠20代半ばにしてこの飄々感。
さすが幾多の荒波を乗り越えてきたアフガン人です。


いきなり話題がものすごくドメスティックな方向に跳ぶのですが、
どうしてもこれに触れたかったので。
ずいぶん前に日本から冷凍して持ってきた
子持ちカレイを先日煮付けてみましたところ、
自分で言うのもなんですが、
これがヒジョーにおいしく仕上がりました。
ひょっとするとアフガニスタン内で
子持ちカレイの煮付けにチャレンジしたのは
人類始まって以来私が最初だったのでは。
そんなことを威張ってどうする。
それをここに書き留めたく、
筆をとろうと思ったのが
そもそも今日ブログをアップしようと思い付いた発端でした。
それがいつの間にか首切り話やら風邪話やら。
節操ない近況報告でした。