タリバンがソフト路線?

アフガニスタン南部に位置するヘルマンド県。ドライフルーツが名産であるこの県には国際治安支援部隊ISAF)のイギリス軍が治安維持のため駐留しているが、他方この県はタリバンが実効支配しているともいわれる。ヘルマンド県はケシの栽培地としても有名で、他県を凌いで圧倒的な生産量を誇る。そのヘルマンド県の一地域に分け入って、住民の置かれた状況を浮き彫りにする優れた記事を目にした。


Institute for War and Peace Reporting | Giving Voice, Driving Change


イギリス軍の戦況報告によると、ここ最近はかなりイギリス軍優勢に戦況は進んでいるとのことだったが、上の記事を読むと結局のところタリバンがヘルマンドを実効支配していることに変わりないのかもしれない(ただしMusa Qalaだけが例外ということはありえるが)。


記事でも触れられているが、Musa Qalaという村は一時期ある試みによってメディアを賑わした。というのもイギリス軍がタリバンとの戦闘によって一般市民の犠牲を巻き込まないよう、この村内では戦闘は行わないという紳士協定をイギリス軍がMusa Qalaの長老たちと結んだからである。その換わりに長老たちはタリバンを村に寄せ入れないことを期待された。当時このPeace Zoneという試みを画期的と評する者もいれば、“テロリスト”の思う壺と揶揄する者もいた。その後イギリス軍の拙攻もあったようで、果たしてMusa Qalaはタリバンの手に戻った。


この記事の肝は、タリバンがソフト路線を敷いて住民のHearts and Mindsを勝ち取ろうとしているという内容だろう。彼らをイスラム原理主義者と言わせしめた数々の施策は鳴りを潜めた。住民はテレビや音楽に興じることもできる。喜捨も強制されない。髭を伸ばそうが伸ばすまいが自由、ケシ栽培も自由。アフガン国軍や警察は村に近づけないので麻薬取引も活発に行われているようだ。これらは90年代から2001年までのタリバン統治時代にはありえなかった柔軟姿勢だ。数ヶ月前だったかタリバンアフガニスタンで学校運営を計画していると話題になったが、まさに教育を施す、治安を維持する(警察行為)といった活動領域にまでタリバンは手を広げている。その分、徴税や物資徴収、徴兵(強制ではない)も行っており、さながら自治政府のような機能を果たしているようだ。これら事例が示しているのは、アフガン政府、地方政府そしてISAFが、住民の期待する治安維持活動、公共サービス、開発支援を十分なレベルで提供できていなかったことの裏返しなのかもしれない。


ただし一つ注意しないといけないのは、この記事の後半にも記述があるように、このような柔軟姿勢が一時的、表面的もしくは局所的かもしれないということだ。記事全体からはタリバンへの恐怖心・猜疑心を拭い去るまでには至らない人も依然多いということが伝わってくる。


更に注意すべきは、この傾向を持ってしてタリバン全体を語るのはまだ時期尚早ということだ。そもそもタリバンは一枚岩の磐石な組織ではないと言われる。成員一人一人が同一の戦略・行動方針をシェアした統制の取れた軍隊のような組織ではない。


とはいえ、ここまで硬軟巧みに織り交ぜた戦略・活動で住民のニーズに応えるタリバンに完全に打ち勝つのは、アフガン政府や国際社会にとって至難の業に違いない。レバノンヒズボラスリランカLTTEのように、“国際社会”からはテロ組織・武装組織と烙印を押されていても、現地では実質自治政府の機能を果たしている反政府グループの例は枚挙に暇がない。ここアフガニスタンでも軍事的な争いのみでなく、ガバナンス能力を競い合う、Legitimacyを巡る熾烈な争いが始まったのかもしれない。