戦争広告代理店

『ドキュメント 戦争広告代理店』(高木徹著、講談社)を読む。ボスニア紛争において、アメリカのポリシーメーカーがどのようにボスニアヘルツェゴビナに肩入れしていったのか、政治や外交の表舞台を追うのではなく、PR会社によるきめ細かな裏方仕事によってポリシーメーカーは段々と肩入れしていったその過程を本書は描いている。

言論の自由報道の自由が真実や正義というものにつながっていくという信念がアメリカでは特に強い気がするが、一皮めくればそれがそれほど自明なものではなく、物事の機微を巧みに捉える少数の人間が「真実」や「正義」を形成していることを伺わせる。

興味深いのは、外交方針を決定する上でのキーパーソンやキーセクターがどこにおり、どう押せば彼らが動くのかPR会社は熟知しており、限られたリソースながらそれを効果的に注入して目的を達成している点だ。私は以前、武力紛争や人権侵害の未然・拡大防止をはかるNGO(ワシントンDC)でインターンをしたことがある。そのNGOはプロフェッショナリズムに欠けていたせいだろう、大した成果も収めず後に解散してしまったが、印象的だったのはこの本で描かれていたように、アメリカの上院・下院議員に情報を積極的に提供していたことである。また、アメリカの議会議員の敷居の低さは、私にとってかなり驚きの経験だった。一弱小NGOの情報ですら、胸襟を開いて貪欲に情報収集しようとするその開放性に、アメリカの政治ダイナミズムの一端を垣間見た気がした。そしてこのPR会社は私がインターンをしていたNGOの何十倍もきめ細かにそのようなポリシーメーカーたちのあり様を理解し、彼らの政策方針を誘導している。

筆者が述べているように、このようなPR会社のあり方を倫理的観点という別の角度から再検討する必要はあるだろう。しかし、このPR会社のプロフェッショナリズムは、紛争の一方に加担するものだけでなく、紛争を仲裁して解決に導こうとするものにとっても、大きな示唆に富む。あえて注文をすると、このPR会社の存在がどれほど大きいものだったのか、客観的には検討し切れていないように見えた。つまり他のセクターなりさまざまな背景説明をあえて端折って、このPR会社の活動を描いたため、このPR会社の影響力が全体の中でどれほどのものだったのか、客観的には見えにくくなっている。とはいえ、戦争をめぐる言説の構築過程にこのようなPR会社が一枚噛んでいることを世間に広く知らしめた本書の意義は大きい。